カイロプラクティックの理屈からカイロアジャスト上達までカイロのホントのところでおまかせ!!









私がこの仕事を志したのは18歳の時でした。


陸上競技を中学・高校・大学としましたが高校の時に膝を痛め


病院巡り・接骨院巡りをしているうちにしだいに医療関係の仕事に


つきたいと願うようになりました。


そのときに思っていたのは今考えたら笑いそうになりますが


「病院」にとりあえず就職したいなんて思ってました。


医者なんて知能的に無理、看護師は性にあわない・・・・・


だったら何をしたいんだ~って自分でつっこんでいた矢先・・・・


一枚のチラシが家に舞い込みました。









そのチラシには「脊椎矯正師養成」の文字が踊ってました。


これだ!!!!!!!


無料だし行こうってな感じになりました。


そこで・・・びっくりこきました。カイロプラクティックという


初めての言葉でしたが頭をハンマーで殴られた感覚・・・!!。


「イッツ・マジック~!!!」


もうそれからぞっこんで勉強を始めました。


当時、大学在学中でしたが大学そっちのけ、陸上部?


そんなところに入部してたっけ状態に陥りました。


1泊2日のセミナー・一週間の泊まり込みのセミナーを受けそこで話を


聞いたこととは・・・・何か臭ってきました・・・・あまり大声ではいえませんが


これちょっと胡散臭いぞ。(批判ではありませんので・・)


詳しくは書きませんが・・・(また機会があれば・・笑)


でも技術がほしいということでその後はその会に入会。


どんどんのめりこんでいきました。








さきほど入会した会は約1年で脱退しました(諸事情で・・)


しかしカイロプラクティック熱が冷めやらぬ私は当時のカイロプラクティック辞典を
(今売ってるかな~?)


参考に心斎橋にあった日本カイロプラクティックカレッジにすぐさま入学いたしました。


19歳の時です。







師匠との出会いはなんともひどいあしらわれ方でした(泣)。


カイロプラクティック経験者で鼻高々の私の鼻を、いともたやすく折り曲げたんです。


そのとき師匠の一言・・・・


「急激な首の回旋は厚生省で禁止されてるよ!」


心の中で「自分だってしてるじゃん」って思いましたが(笑)。


でもその後が師匠の言っている意味の深さがわかりました。


そもそも当時のカイロプラクティックの団体でモーションパルぺーションの


不足を感じた私に、師匠がひとつひとつ、それこそエサをまくようにヒントをくれました。


ここで私の師匠はこの人だって思いました。







カレッジに入学し、半年すぎたころに新たな問題・・・・。


2つの学校の掛け持ち・バイトで時間が全くなくおまけに大学のほうが


単位がとれなくなってくる始末。


こりゃ~いかん!!!!どないしよ。ということで苦渋の決断ではありましたが


日本カイロプラクティックカレッジを一時休学して、大学をまず卒業することにしました。







大学4回生の後半に単位もほぼ終了し再びカレッジに復学した私。


ここで印象的だったのが就職でみんなあせっているのに私は全くあせらず


平然と学校に通っていました。


私の心の中の合い言葉は「やりたいことみつけないからだよ・・・・でした。笑」







大学を卒業してからはめちゃくちゃ勉強しました・・・・。


バイトの作業着でカイロプラクティック総覧持って、御堂筋線を歩いているやつなんか(大阪の中心を走る地下鉄です)いないでしょう(笑)


おまけに髭ぼうぼうでその作業着といったら汚いなんてものじゃなかったです。


この時は必死でしたから、周りから何を思われようがいわれようが


関係なかったです。プライドと情熱がありました。


「絶対負けねえぞ」って思ってました(誰に?自分かな。)







日本カイロプラクティックカレッジを1998年10月に卒業。


それから師匠のところにインターンで半年勉強させてもらいました。


もちろん無給で・・・。むちゃくちゃ勉強になりました。


この時期はお金を貯めるためにせっせこバイトに励んだころでした。







1999年3月5日泉佐野にて開業いたしました。
(実はこの日に妻と入籍←支えは妻だけ!?)


借金350万円でスタート。


さてさてどうなることやら・・・


コネなし・患者さんなし・技術なし・知識なし・お金なしの


ないないづくしでスタートでした。


きっとみんなはいうでしょう。「ばかなやつだ。」と。


24歳の時でした・・。







そうこうしているうちに、師匠が勉強会を開くという話がまいこんできました。


渡りに舟とはこのことでまた教えを乞いにいきました。


師匠って、その方のレベルにあった答えをいってくれるんですよね。


もっというと、その方の時期もあって今はそのことを教えるレベル


ではないときはおいしいことでも絶対いわないのが師匠のやり方です。


で、学校の時と話が違う~というのが連発でした・・。


違うというよりもまだ奥があったんですかって感じです。


その勉強会も2年続きました。よっしゃ~テクニックできてるよなフルヤさん。


ん・・浮かない顔して・・まだできないの・・・


いや~前よりもそりゃ~うまくなってるよ確実に・・・


でも師匠の基本ばっちり、的確矯正ができないんだよな~。


ほれぼれしちゃうんです。師匠のアジャスト・・・・やりたいな~。


そんな悩みをよそに時はまたまたたち一昨年ある学校から


講師依頼の話が舞い込んでくる。これもいちにもににも二つ返事でOKです。


で、ここからフルヤ。


自分でいうのもなんですがレベルアップしまくりました。


テクニックがうまくなるノウハウもここで養いました。


人に教えるパワーはすごいです。ほんと。


でもこの矯正の原理原則、教え方をしていた師匠はすごいです。


師匠が考えて考えて導き出した理屈。私の宝物です。


でも独り占めはいけません。


師匠の考えは後に残していかなくてはいけません。


知っていて損はないです。絶対。


そこでカイロのホントのところとあいなりました。